アーティストプロフィール
1984 年、小西康陽、高浪敬太郎、鴨宮諒、佐々木麻美子によって結成。
翌年、細野晴臣プロデュースにより12インチシングル「オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス」でデビュー。1987年、鴨宮諒、佐々木麻美子が脱退。1988年から1990年までオリジナル・ラヴの田島貴男が在籍。1990年、野宮真貴がヴォーカリストとして加入。1994 年、高浪敬太郎が脱退し、小西と野宮のユニットとなる。
「スウィート・ソウル・レヴュー」「東京は夜の七時」「ベイビィ・ポータブル・ロック」など、ヒット曲を数多く生み出し、90年代に日本の音楽シーンを席巻した「渋谷系」アーティストのひとつとして支持を得た。
また、1994年5月にはシングル「5×5」でアメリカ・デビュー、秋に発売したアルバム「Made In USA」のセールスは全世界で20万枚を突破。1995年2月(アメリカ10都市、ヨーロッパ4 都市)、1997年9月(アメリカ14都市)に2度のワールドツアーを敢行した。
その後も意欲作を次々と発表し、精力的な活動を続けたが、2001年3月31日にベスト・アルバム第3集「Pizzicato Five R.I.P. Big Hits and Jet Lags 1998-2001」をリリースし、その長い歴史に幕を下ろした。
ピチカート・ファイヴ
THE BAND OF 20TH CENTURY: Nippon Columbia Years 1991-2001
- レーベル
- *********records,tokyo/TRIAD
- フォーマット
- 7inch 16枚組BOX
- 販売価格 (税込)
- 25000円
- 品番
- COKA-70~85
- JANコード
- 4549767073750
- URL
- https://columbia.jp/pizzicatofive/
商品情報
全世界的にブレイクを果たした野宮真貴ヴォーカルのコロムビア在籍時代にピチカート・ファイヴがリリースした名曲の数々を、シングル曲を中心に小西康陽が完全監修でニューミックスを施した16枚組の7inch BOX。
「ピチカート・ファイヴ」のコロムビアからのリリースは実に13 年ぶり。
収録曲
1
A 万事快調
B キャッチー
2
A スウィート・ソウル・レヴュー(シングル・ヴァージョン)
B マジック・カーペット・ライド
3
A ロックンロール
B 優しい木曜日
4
A 東京は夜の七時(シングル・ヴァージョン)
B 陽の当たる大通り(シングル・ヴァージョン)
5
A 悲しい歌(シングル・ヴァージョン)
B アイスクリーム・メルティン・メロウ
6
A 三月生まれ
B トウキョウ・モナムール
7
A エアプレイン(「フリーダムのピチカート・ファイヴ」ヴァージョン)
B 子供たちの子供たちの子供たちへ
8
A イッツ・ア・ビューティフル・デイ
B My Baby Portable Player Sound
9
A 大都会交響楽(シングル・ヴァージョン)
B 大都会交響楽(アルバム・ヴァージョン)v
10
A メッセージ・ソング(シングル・ヴァージョン)
B きみみたいにきれいな女の子(シングル・ヴァージョン)
11
A ウィークエンド
B テーブルにひとびんのワイン
12
A また恋におちてしまった
B 連載小説
13
A アメリカでは
B 現代人
14
A 愛餓を
B 12月24日(アルバム・ヴァージョン)
15
A めざめ(「GREAT WHITE WONDER」ヴァージョン)
めざめ
B 私のすべて(「女性上位時代」 ヴァージョン)
不景気(GRAND-PRIXヴァージョン)
一月一日
君が代
16
A グッバイ・ベイビイ&エイメン
B サマータイム・サマータイム
アーティストプロフィール
1984 年、小西康陽、高浪敬太郎、鴨宮諒、佐々木麻美子によって結成。
翌年、細野晴臣プロデュースにより12インチシングル「オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス」でデビュー。1987年、鴨宮諒、佐々木麻美子が脱退。1988年から1990年までオリジナル・ラヴの田島貴男が在籍。1990年、野宮真貴がヴォーカリストとして加入。1994 年、高浪敬太郎が脱退し、小西と野宮のユニットとなる。
「スウィート・ソウル・レヴュー」「東京は夜の七時」「ベイビィ・ポータブル・ロック」など、ヒット曲を数多く生み出し、90年代に日本の音楽シーンを席巻した「渋谷系」アーティストのひとつとして支持を得た。
また、1994年5月にはシングル「5×5」でアメリカ・デビュー、秋に発売したアルバム「Made In USA」のセールスは全世界で20万枚を突破。1995年2月(アメリカ10都市、ヨーロッパ4 都市)、1997年9月(アメリカ14都市)に2度のワールドツアーを敢行した。
その後も意欲作を次々と発表し、精力的な活動を続けたが、2001年3月31日にベスト・アルバム第3集「Pizzicato Five R.I.P. Big Hits and Jet Lags 1998-2001」をリリースし、その長い歴史に幕を下ろした。